北京の伝統料理研究① 宮保明蝦(大海老の甘辛北京ソース)
宮保明蝦(車海老の甘辛北京ソース)は、1960年の創業以来、60年以上に亘り受け継がれてきた北京の伝統料理で、ソースの基となる香糟(シャンゾウ)を作れるのは歴代の料理長のみという、 門外不出・秘伝の一品です。衣を付けてカラッと揚げたプリプリ食感の海老と甘辛ソースの組み合わせが人気の秘密。当店自慢の一皿を、ぜひ一度お試しください。
宮保明蝦(車海老の甘辛北京ソース)は、1960年の創業以来、60年以上に亘り受け継がれてきた北京の伝統料理で、ソースの基となる香糟(シャンゾウ)を作れるのは歴代の料理長のみという、 門外不出・秘伝の一品です。衣を付けてカラッと揚げたプリプリ食感の海老と甘辛ソースの組み合わせが人気の秘密。当店自慢の一皿を、ぜひ一度お試しください。
清朝時代、政治の中心地として発展した北京には、各省からの珍しい産物などの献上品が集まると同時に、都に上る各省地方官吏が伴った優秀な調理人が集まり、北京料理は宮廷料理として発達しました。中でも宮廷料理を司る厨師には山東省の出身者が多く、山東風の料理が広く用いられていました。清朝の末期(1800年代後半)、丁宝禎(ディン・バオ・ツェン)という山東省の長官が、宴席を開く際、鶏肉とカシューナッツをピリ辛味で炒めた料理で人々をもてなしていました。丁宝禎の官職名であった「宮保」(皇太子の補佐役)の名を取って、この料理を「宮保鶏丁」と呼ぶようになり、山東省の名物料理になったと言われています。又、「宮保鶏丁」と同じ調味料で炒めた料理には「宮保」と言う料理名が付くようになり、その時に「宮保明蝦」は生まれました。その後「宮保」は宮廷料理として北京にも持ち込まれ、北京宮廷料理の一品となっています。丁宝禎は山東省で出世して行き、その後に四川総督になりましたが、山東省で発明された「宮保鶏丁」を四川省でも振る舞った為、四川省でも名物料理になったと言われています。又、丁宝禎が四川省に移ってからは蒸し暑い気候にふさわしい料理にする為にと、唐辛子を多用した事で、同じ「宮保鶏丁」という料理名であっても北京と四川とで味の差が生じたと言われています。
1960年に国内で初めてホテル直営の中国料理レストランとして開業しました。中国四大料理の一つに数えられる北京料理は、北京の宮廷を中心に中国北部で発展をとげた宮廷料理。一品一品手間をかけた見事な味の演出、そして芸術の域まで高められた上質なスタイルに、「北京」の料理の歴史と伝統への誇りが凝縮されています。
現在は、和洋中3種のお料理が楽しめるレストラン「ザ ダイニング」として、芝パークホテルが誇る歴史ある中国料理をご提供し続けています。