北京の伝統料理研究③
什景炒麺(北京風煮込み焼きそば)


料理ストーリー

北京の創業当時から伝わる伝統の「北京風煮込み焼きそば」は、中国の清の時代に誕生したもので、中国では「伊府麺」と呼ばれています。 伊府麺の「伊」は人の名前で、「府」は家という意味です。すなわち「伊府麺」とは、「伊さん家の麺」という意味になります。 清の乾隆帝時代に進士(官僚登用試験の合格者)となった伊秉綬(いへいじゅ:1754~1815年、書家)の屋敷(中国語で「府」)の厨房で開発されたそうです。 伊さんは驕らない性格で、地元の人に人気がありました。又、麺料理が大好きでした。 ある時、近所の人達から大量の「烏龍麺(うどん)」を頂いた伊さんは、家族だけでは食べきれない量だった為、茹でて調理したものを近所の人達にご馳走しました。 その中で、湯に入れるべき麺を間違って油の中に入れて揚げてしまったものがありました。 もったいないからと食べてみたところ、揚げた麺も美味しかった為、その後改良が加えられ、現在の「伊府麺」になりました。 伊さんは、乾隆54年(1789年)に進士となり、刑部主事を授けられ、広東省恵州や江蘇省揚州の知府(地方政府の長官)を歴任しています。

当時の揚州には、塩の取引で大富豪となった「塩商」と呼ばれる人達が多く生活していました。 この時期に、国主である乾隆帝は、度々揚州に下り、塩商から絶大なもてなしを受けていました。 一切の献上品や料理には、一品ごとに誰それが謹んで奉献するという名札が付き、料理を作った人の名も添えられていました。 皇帝のお声が掛かれば、北京に参上し宮中の厨房に入ってお役を勤めていました。皇帝に随行した高官たちも、揚州の生活に憧れ、料理人を招聘したり、家庭生活の指導を受けたりしました。 このような中で、揚州料理は山東料理と同様に北京宮廷料理に大きな影響を与えており、伊さんによって揚州に渡った「伊府麺」もまた、皇帝の揚州訪問を期に北京宮廷料理の一品になったと考えられます。

» 什景炒麺(北京風煮込み焼きそば)は北京 70周年記念メニューにございます。

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乾隆帝

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