芝パークホテルの記憶
「芝パークホテル」が生まれたのは1948年(昭和23年)のことでした。
以来、昭和から平成そして令和へ続く時代を由緒ある芝の地で、お客様と、そして地域と一緒に歩んでまいりました。
その心地良さはそのままに、新たにこの街に息づく風土や人、歴史に軸を置く書籍コレクションを備えたLibrary Hotelとして、より良い豊かな明日へとつながる、
そんなホテルを私たち芝パークホテルは目指していきます。
1945年8月14日、日本はポツダム宣言を受託し、翌15日正午に終戦の決定をしました。
この年の9月15日には連合国軍総司令部(GHQ)が横浜から日比谷に移転設置され、多くの人が東京に滞在することになったのです。
そこで都内で宿舎となるべき建物を物色中のGHQが白羽の矢を立てたのが、芝公園の緑の中に学生寮をもっていた共立女子薬科大学。当時女子寄宿舎として使われていたものを接収し、その名も「ウーマンズ・ビレット」と名付け、進駐軍の女性兵士の宿舎としたのです。これが芝パークホテルの前身となる施設の誕生です。
1948年貿易庁(現在の経済産業省)の管理の下、外国貿易使節団ホテル(バイヤーズホテル)として「芝パークホテル」の運営が始まりました。
宿泊客はもちろん外国人限定でした。支払いもすべて外貨というこの国営のバイヤーズホテル時代、PX(売店)ではチップでいただいた5セントで、日本ではまだ珍しかったチョコレートバーが買えたという記録も残っています。
1949年には貿易庁の管理を離れ民営化し、株式会社 芝パークホテルが設立されました。
1泊2食付2名で10ドル
「アメリカンプラン」の発売
1泊2食付2名で10ドル
「アメリカンプラン」の発売
1956年、第一新館の増築により客室数が137室に増えた芝パークホテルは、名実ともに都内の有力ホテルとして着実にその基盤を固めていきました。
当時、日本のホテル料金が高いことは世界的に有名で、多くの外国人から不満を買っていました。外国人宿泊客誘致の為には、1泊平均8ドルという日本のホテル業界の常識を破って、芝パークホテルでは、1泊2食付き2名で10ドル(1名5ドル!)という斬新な「アメリカンプラン」を発売。世界の水準である5ドル料金を実現することは急務であると考えられていましたが、5ドルの低料金と最高のサービスは狙い通り来日外国人の間で評判となり、国内のホテルに大きな一石を投じる結果となりました。
芝パークホテルは一躍、海外にまでその名を知られる存在となりました。
1950年代後半から60年代の芝パークホテルは、スタッフ自らの工夫でユニークなサービスが次々と実践された時代でした。
「ナイトボーイ」と呼ばれる夜勤勤務のスタッフが各フロアを回り、お客様の靴を磨く”靴磨きサービス”もその一つです。当時は外国人の宿泊客が多く、廊下に座りこんで余暇を楽しんでいました。その間を縫うようにして各人の靴を磨いて回るのです。慣れた宿泊客は心得たもので、「磨いてください」と言わんばかりに靴が廊下に揃えて置かれていることも毎夜行われる、ちょっとした心遣いときめ細やかなサービスでした。常に世の中のニーズを敏感に汲み取り、他にはないユニークな宿泊プランとして、海外渡航が規制される2020年に国内ホテルで海外に滞在しているような疑似体験ができる「プチ留学プラン」も誕生しました。長い歴史を通して、ひとりひとりのスタッフの、それぞれのおもてなし精神が積み重なり芝パークホテルが創り上げられています。
1960年に第二新館が完成し、78室の客室を増築し、客室数が合計215室となる。同館内に国内で初めてのホテル直営の中国料理レストラン「北京マンション」を開業しました。北京料理は、宮廷を中心に中国北部で発展をとげた宮廷料理であり、「北京マンション」の初代料理長として香港より招聘された王敬賓氏により、芝パークホテルに伝えられた芙蓉蟹(蟹肉の淡雪煮)や宮保明蝦(車海老の甘辛北京ソース)は創業以来、50年以上に亘り受け継がれてきた今でも人気の北京の伝統料理です。
当時の代表取締役社長である犬丸二郎がラグビーフットボール協会の理事を務めていたこともあり、1990年代前半まで来日するラグビーチームの常宿は芝パークホテルというのが通説となっていました。
芝パークホテルの創業者でもあり、帝国ホテルの社長でもあった犬丸徹三を父にもつ犬丸二郎は、自他ともに認める「慶大ラグビー部卒」のラガーマン。ホテル運営に「フェアプレー」や「ノーサイド」の精神、そして「スタープレイヤーより、あくまでもチームプレイが基本」という犬丸二郎のラグビー哲学が色濃く投影されています。数多くの海外ラグビーチームが相次いで投宿するなか、1987年に第1回ラグビーワールドカップを制したニュージーランド代表オールブラックスが投宿。国際的な評価も更に高まりました。
東京都港区東新橋に共同通信社が建設した汐留メディアタワー上層部に2003年9月開業。「日本の美意識が体感できる時空間」をコンセプトに、アートを軸とした美術館のような館内で芸術鑑賞ができるアートホテルです。
創業から72年の2020年。新たに「人、街、歴史をつなぐLibrary Hotel」のコンセプトを下に芝パークホテルをリブランドしました。この地の伝統と文化に呼吸をあわせるようにして時を紡いできた古き良きホテルならではの、心地良さはそのままに約1,500冊の書籍コレクションを備えたLibrary Hotelとしての顔を持ちました。